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美々風 Mimikaze

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雑記

WE ARE THE PEOPLE

WE ARE THE PEOPLE
 by John Mellencamp

もし今あなたが打ちのめされているのなら
私の思いがあなたとともにありますように
あなたが黒人でむち打たれ使役されているなら
私の思いがあなたとともにありますように
あなたの生活がうまくいかなくなっているとき
そう、私たちの思いはあなたとともにある
そうさ、世界は狂ってる
だから私の思いはあなたとともにある

ウィー・アー・ザ・ピープル
私たちは永遠に生きる
ウィー・アー・ザ・ピープル
私たちの未来は風の中に書かれている
風の中に

あなたが家をなくしているのなら
私たちの思いがあなたとともにありますように
あなたが恐怖におののき孤独なら
そう、私たちの思いはあなたとともにある
あなたが不運に見舞われているのなら
私たちはそれがどんなに孤独なことなのか知っているよ
最初からすべてを持っているやつなんて誰もいない
私たちの思いはあなたとともにある

ウィー・アー・ザ・ピープル
私たちは永遠に生きる
ウィー・アー・ザ・ピープル
私たちの未来は風の中に書かれている
風の中に

あなたがリーダーというのなら
私の思いがあなたとともにありますように
もしあなたが社会を引き裂き支配しようとするなら
我々はあなたに向かって立ち上がる
強いものが生き残るってことは知っている
だけど弱きものは引き継いでいく
あなたが手に入れたりっぱな紋章は
我々のものでもある

ウィー・アー・ザ・ピープル
我々は永遠に生きる
ウィー・アー・ザ・ピープル
未来は風の中に書かれている
風の中に

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壺の話

「壺」って何なのでしょう。
なにしろ、現代の一般家庭において、それは必需品ではありません。
だけど少しの間、壺が使われていた場面を幻視してみます。それは大きな壺です。水をため、穀物を貯蔵するために、生活の場面にどっかりと腰をすえている。今は失われてしまった、それらの壺とともにあった暮らし。
幻視から覚めると、驚くなかれ壺だけは残っています。縄文からつながる圧倒的な美を宿して。

物の美は実用とともにあると考える者にとって、壺というものはやっかいです。もはや、本来の用途を離れ、見るものになってしまった壺。しかしその美は圧倒的です。

「世の中には2種類の人間がいる、すなわち壺に出会う人間と壺に出会わない人間とが」と言ったのは誰もいませんが…… ともあれ、いったん壺の魅力にとりつかれてしまったら、人はどこかに壺的なものを持ち続け探し続けていくことになる…… ような気がしないでもありません。ありがたいことにこのような中世の壺なんかはちょっとやそっとじゃ手が出るものではないですが。↓

〜「古陶の譜 中世のやきもの—六古窯とその周辺—」(茨城展 平成23年1月2日〜3月21日 @茨城県陶芸美術館 以後愛知、福井、山口を巡回)図録より〜

かつて、東大寺には「壺法師」といわれた人がいたそうです。第206世別当の上司海雲師その人で、なにしろ興が動けば手当たり次第まちで買い求めたということだそうです。

「女に失恋し人間にも失望した時期から、モノ言わぬ美しいもの、決して人をダマシたりはせぬ可愛いものども、そうしたモノたちの中でも一番人間にちかい壺という不思議な物体、いえ、妖しい動物(いきもの)に次第に現を抜かして」

いったと語っていらっしゃったり、

「阿呆な自分の姿を見るようでおかしく、うれしくなってくることがある」

などと書かれていたそうです。(安東次男著『古美術の目』・ちくま学芸文庫 所収「壺の話」 参照)

「古陶の譜 中世のやきもの—六古窯とその周辺—」(茨城展 平成23年1月2日〜3月21日 @茨城県陶芸美術館 以後愛知、福井、山口を巡回)を見ました。これでもかというくらいの大壺が多数展示してあって、非常に見応えありました。できれば(できないのはあたりまえですが)、触れてみたかった、と思う同志はたくさんおられるのでは。上記の「壺の話」の中で安東次男氏も書いておられます。

「かく云う私も、昭和二十年代の終から三十年代にかけて、信楽の大壺ばかりを探して歩いたことがある。気に入った一つもあれば、持ち帰ってさっそくタワシで泥をごしごし洗い落とし、抱いて風呂に入るのが、無上の楽しみのように思われた。あらたまって人にたずねたこともないが、これは壺好なら誰でもがやっていることではないかと思う」

そこまでするか…… いやもしかしたら……

焚き火のある風景

ときどき焚き火をしに出かけます。

村上春樹の短編「アイロンのある風景」(『神の子どもたちはみな踊る』所収)には、ただ焚き火をしたいがために茨城県の海に近いところに移り住んでいる人が出てきますが(しばらく読み返していないので違ってるかも)、その気持ちはよくわかります。何度か引っ越ししましたが、引っ越しのたびにこの近くで火を焚けるところはあるかな? と調べずにはいられません。

冬の奈良

平城遷都1300年祭のメイン会場も終了し、秋の観光シーズンも過ぎ、春日若宮おん祭も終わった奈良は、今、しばしの小康状態といった感じにあります。12月22日に東大寺へ行ってみると、盛時とかけ離れた静けさに包まれていました。紅葉もなく、冬枯れの景色ですが、逆に、静かにじっくり社寺を見たいなどという方には、この時期はおすすめです。お正月までの、ほんの短期間ですけど…

東大寺 二月堂 人影もまばらでした

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