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美々風 Mimikaze

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雑誌『BRUTUS』民芸とみやげもん

『BRUTUS』2010年7月15日号 特集・民芸とみやげもんより、
アメリカ、サンディエゴにある「ミンゲイ・インターナショナル・ミュージアム」創立者、マーサ・W・ロンガネッカーさんの言葉。

「柳、濱田、リーチとの出会いが私の人生の転機でした」

「人間にとって、美しいものを作り出すということは、ごく当然で自然なことだと学びました。逆に彼らが美しいものを作っていないとしたら、何かが確実におかしいのです。人々が歌うのはごく自然なこと。人々が踊るのもごく自然なこと。人々の笑顔だって自然なものです。人間にとって喜びを感じ、それをいろいろな方法で表現することはとても自然なことなのです。それは人々が神や宇宙と繫がって、自然の摂理の一部になっているから。人が自然との繫がりを失うのは、己の技術を過信し、自分に役立つ情報のみを集めるようになり、それによって人々からの尊敬を受けようと大きな自我をむき出しにしたときです。そうなったとき、人間というものは壊れてしまっているのです」

人間にとって、歌うことや踊ることとものを作り出すということは同じことなのだという言葉は、深く、衝撃的です。そしてそれがもし美しくないのなら、確実に何かがおかしい。惑うばかりの日々を送るなか、覚えておきたい言葉でした。
この特集、この他にも熊本の小代焼の記事などとても読み応えのあるものでした。

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持つこと、持たぬこと

店の品物とは関係ないけど… どうしても取り上げたいので。

“Ain’t Got No, I Got Life” by Nina Simone ニーナ・シモンです。

モノを扱う店をやっていながらあれなんですけど、やっぱり余計なモノなんていらないヨネ、と指し示してくれる音楽です。

1969年の Harlem Cultural Festivalでのパフォーマンス。このフェスティバルには他にも、Stevie Wonder、Sly and the Family Stoneなどそうそうたるアーティストが出演したそうです。キング牧師が暗殺されたのがこの前年のことで、まだまだ空気が熱い。客席にはアフロヘアーの人々。そしてこのバンドのグルーブ。Nina Simoneのこのフェスでの映像は他にもYouTubeにあり、そちらもとても見応えあります。

わたしには家がない 靴もない

金もなければ 品もない

友達もいないし 教育もない

仕事もないし 職もない

金がないから 居場所もない

父はいないし 母もいない

子どももないし 兄弟もいない

土地もなければ 運命もない

頼る教会もないし 祈る神もいない

誰にも愛されてない

ワインもないし タバコもない

服もなければ 祖国なんてない

品もないし 生徒なんていない

友達はいない

何もない

神様なんかいない

大地もなければ 水もない

食べ物もない 家もない

服がないって言ったよね

仕事もない

なんにもない

誰にも愛されてない

じゃあ、私には何があるの?

私はなんで生きてるの?

誰も私から奪えないものって何?

私にはこの髪がある

頭がある

脳味噌もあるし 耳もある

目もあるし 鼻もある

口があるから 微笑むこともできる

私には舌がある 顎もある

首もあるし おっぱいもある

ハートもあるし ソウルもある

背骨もあるし セックスもある

腕が 手が 指がある

脚も 足も 足の指もある

肝臓もあるし 血も通ってる

命がある

私は生きてる

頭痛もするし

虫歯も痛む

調子が悪い時もある

あなたと同じよ

私には髪がある

頭がある

脳味噌もあるし 耳もある

目もあるし 鼻もある

口があるから 微笑むことができる

舌がある 顎もある

首も おっぱいも

ハートも ソウルも

背骨も セックスも

腕が 手が 指が

脚が 足も 足の指もある

肝臓もあるし 血も通ってる

命がある

私には自由がある

心がある

私は生きている!

(日本語詞は「辛かった時期に聴いていた応援歌」と紹介されていた、映画評論家・町山智浩さんのブログより引用させていただきました)

小鹿田焼1合壺

うつわ、道具のお店を始めるにあたり、どうしても行っておきたいと思った所があり、10月に行ってきました。大分県の日田市の山間地にある小鹿田(おんた)です。そこへ行くには、今でも車2台がすれ違えないような細い道を通らなければなりません。

ご存知の方も多いと思いますが、昭和6年に柳宗悦が「発見」して一躍有名になった民窯の里です。開窯は江戸時代で、それまで中央にはほとんど知られることなく、専ら地域の用を満たすために、こつこつと焼物の生産を続けていたといいます。

その技術は現在、国の重要無形文化財(平成七年指定)になってもいるわけですが、やはり驚くべきは今でも登り窯、蹴ろくろ、唐臼などを使った昔ながらの方法で生産が続けられているということです。そしてその製品の素朴なすばらしさ。

何がこのようなことを可能にしたのかということは考えなければならない大事なことに思えます。かつてはこのような「民窯」というようなものは日本各地にたくさんあったといいますが、残っているのはわずかなのです。近くの材料を使い、ふだん使うためのモノを、長い間培ったやり方で作る。美術館もアートブックも東京もニューヨークもパリもロンドンも美術大学も遠い世界で作られるモノ。美しいものを作ろうという気などさらさらなくただ日々の営みとして作られ続けてきたモノ。

そのようなモノのすばらしさを見つけて価値を与えた民藝運動がすごいのは言うまでもないことですが、すばらしいのは価値そのものだということだと思います。そして、その価値は柳宗悦たちが「やっと」見つけ出したものであるように、なかなか見つけることはできないのだということなのではないかと思います。

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